五条の橋の戦い 『牛若丸と弁慶が出会った場所』

京阪清水五条駅の西に掛かる五条大橋には、現在、弁慶と牛若丸の戦い『五条の橋の戦い』をモチーフにした決闘の様子を再現した石像が橋の西側、中央分離帯にたっています。
しかし、出会った当時、この通りは六条坊門小路と呼ばれていました、本当の五条大橋はどこにあるのでしょうか

現在の五条大橋

【目次】

弁慶と牛若丸が出会った五条大橋

平安時代の五条大橋は現在の五条大橋より来たに位置しています。

二筋北、つまり現在の松原通に位置していた。

34.998839, 135.768984

どうして、五条大橋が現在の場所に移動したのか

天正14年(1586年)、豊臣秀吉が、現在の京都国立博物館の辺りに日本一の大仏を安置する方広寺を建設し、その参詣道として五条通に架かる五条大橋を六条坊門小路に移してしまった。

この時、五条大橋の名はそのまま新橋に引き継がれ、同時に六条坊門小路は五条通と呼ばれるようになったという。

多くの伝説を残す旧五条大橋

旧五条大橋には多くの伝説の話があります。

ひとつが、牛若丸と弁慶が戦った『五条の橋の戦い』『冥界の入口』『一寸法師伝説』『三途の川』『幽霊子育飴』といわれた伝説があります。

牛若丸と弁慶が戦った五条大橋

牛若丸と弁慶が戦った五条の橋が架かっていた、松原橋です。

旧五条大橋が掛けられた理由

松原通りは平安時代の五条大路であり、当初は嵯峨天皇の勅命により橋が架けられたともいわれる、清水寺の参詣道でもあったことから、人の往来が多く大変賑わった都の目抜き通りであった。

元来、この地に架かっていた橋が五条橋であり、通りの両側に見事な松並木があったことから五条松原橋とも呼ばれていた。

冥界の入口と言われた五条大橋(現松原橋)

東山の西麓、清水寺のあたりは鳥辺野と呼ばれる葬送の地が広がり、荼毘に付す(死者を火葬する)場所となっとおり、その当時の人々はここを冥界へつながる場所としてきました。

その当時、都では権力争いの戦いで、多くの人が怪我を負い死に、大飢餓もはやり、できれば、冥界に近い場所で死に、もう一度早く生まれ変わりたい(六道輪廻)の思い出で鳥辺野の地を目指すが、途中で息絶えた方の死体が骸骨になり、「清水寺、参詣道」の至る所に骸骨が並ぶようになったと言われております。その光景をみた人々が五条橋を西から東に渡ったところから冥界の入口と言われる様になったそうです。

また、五条橋の西側をこの世と呼び、東側をあの世と呼ばれ、鴨川を「三途の川」と言われいたとの伝記も残っております。

五条大橋(現松原橋)の東側にある名所

六道珍皇寺、冥界と繋がっている井戸がある

五条橋の先に六道珍皇寺があり、冥界まで届くといわれる鐘があり、毎年8月、あの世から先祖の精霊を迎える為に撞を鳴らす「六道まいり」が行われています。

冥界にまで響く鐘の音を聞き、精霊が迷うことなくこの世へと誘われ、高野槇に宿り、各家へ里帰りをすると言われています。

六道珍皇寺の情報はこちらにを記載しております。

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