ゲゲゲの鬼太郎の話のモデルになった京名物みなとやってどんな店

ゲゲゲの鬼太郎/墓地鬼太郎の話のモデルになった、『みなとや』京都で450年以上も続く日本一古い飴屋さんです。

みなとや幽霊子育飴本舗ってどんなお店

みなとや幽霊子育飴本舗お店情報

京都で450年以上続く、日本一古い飴屋さんです。

  • 営業時間
  • 午前10:00~午後4:00
  • 年中無休

アクセス方法&場所

主な駅・バス停・神社仏閣から

  • 清水道バス停より  徒歩 6分
  • 京阪清水五条駅より 徒歩10分
  • 六波羅蜜寺より   徒歩 2分
  • 清水寺より     徒歩10分

ゲゲゲの鬼太郎のモデルになった話

母の愛情が生んだ感動の物語

昔、女が夜ごとに飴を買いにくるようになった。女が飴を買った翌朝に、代金を納めている銭箱をあらためると、木の葉が1枚入っていることが続いた。不思議に思った当時の店主は、ある夜、女の後を追った。すると。女は墓地のある鳥辺山で姿を消し、土から中から赤ん坊の泣き声が聞えた。そこは身ごもったまま亡くなった女性を埋めた墓だった。寺に事情を話して掘り返してみると、墓の中には飴をしゃぶった赤ん坊がいた。死後に生まれた赤ん坊のため、幽霊となった女が飴を買いにきていたのであり、飴の代金てして渡された木の葉は、女の墓に供えられていたシキミの葉だったのだ。

 当時は、箸に巻いた水飴として売られていたが、今では麦芽糖からつくられた素朴な飴となっている。死してなお我が子を思う母の愛情の表れとして400年以上も語りつがれている。その飴は『幽霊子育飴』として今も広く人々に愛され続けている

その続きがあり、赤ん坊は8歳で僧となり、やがて高僧になったと言われている。そしてその飴はいつしか『幽霊子育飴』と呼ばれるようになり、店は繁盛して現世まで続いています。

この話が、ゲゲゲの鬼太郎のモデルとなりました。

ゲゲゲの鬼太郎の話し

「ゲゲゲの鬼太郎」、昔のタイトルは「墓場の鬼太郎」
どうして「墓地の鬼太郎」になったかと言うと、墓場から生まれたからだそうです。
鬼太郎の祖先は幽霊族で、人と霊の中間に位置するらしい。
人類が地上に現れるよりずっと昔から存在しており、人類の出現によって地下に追いやられてしまった。
モグラのように地中深く、穴の中で細々と暮らしていたが。最後の生き残りだった鬼太郎の両親は食料を求めて町に出てきたが、二人共病気になって死んでしまう。
妊娠していた母はお墓の中で鬼太郎を産み、鬼太郎は自力で墓石を押しのけて出てきたという。

ちなみに、父親は体が腐って死ぬが、目玉だけ抜け落ちて手足が生え「目玉親父」になったそうです。

通常、目玉親父は鬼太郎の左目の役目をする、鬼太郎の左目は、鬼太郎の誕生をその場で見ていた、水木という人間が、あまりの無気味さに鬼太郎を放り投げ、墓石に左目をぶつけて潰してしまったのだという。

幽霊子育飴

麦芽の素朴な味です

近くの観光スポット

お店の目の前の交差点が「あの世とこの世をつなぐ道・六道ノ辻」と西福寺があり、東に行けば「冥界の入り口がある六道珍皇寺」西に行けば「牛若丸と弁慶が戦った五条大橋(現松原大橋)」があります。

詳細情報は別、サイトに記載しておりますので、見て下さい。

六道ノ辻あの世とこの世をつなぐ道

五条大橋(現松原大橋)牛若丸と弁慶が戦った五条大橋(現松原大橋)

あの世の入口があるお寺六道珍皇寺

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