一寸法師が暮らしたといわれる武信稲荷神社見どころ(二条城近く)

一寸法師、武士になるために、お椀の船で京へやってきた一寸法師が住み込みで奉公したと言われている「京の三条大臣殿」屋敷、三条大臣とは西三条大臣と言われ、藤原良相公のことであり、藤原良相大臣屋敷、学問所のあった場所が現在の「武信稲荷神社」があったところで、一寸法師がくらした物語の舞台となった場所である。

武信稲荷神社見どころ

目次

武信稲荷神社

武信稲荷神社(たけのぶいなりじんじゃ)一寸法師と坂本龍馬ゆかりの神社です。

一寸法師ゆかりの話

一寸法師のあらすじ

むかしむかしあるところに身長が一寸(3cm程)しかない子がいた。その子は何年たっても大きくなることがなく一寸法師と名付けられた。ある日一寸法師は武士になるために京を目指し、お椀の船にお箸を櫂(船をこぐオール)に針を刀の代わりにして旅に立つ。

京へ着いた一寸法師は、京で一番大きな屋敷に住み込みで奉公する。屋敷の主「三条大臣殿」に大変気に入られた一寸法師は姫のお供で清水寺へ行くことになるが、道中で鬼に襲われ、鬼に丸飲みされてしまう。しかし鬼の腹の中で針の刀を振り回して大暴れ、すると鬼はたまらず一寸法師を吐き出して逃げていった。

逃げた鬼は、振れば願いが叶うという打ち出の小槌を落としていった。一寸法師が打ち出の小槌を振るとどんどん背がのびって立派な男性になった。そして姫と結婚し、打ち出の小槌で金銀宝物を出して末永く繁栄した。

その話の舞台になった場所で、三条大臣殿とは藤原良相公のことであり、現在の武信稲荷神社があるところに、藤原大臣殿屋敷、藤原氏の学問所のあったところです。

坂物龍馬のゆかりの話

坂本龍馬とおりゅうの話

神社の南には江戸時代、幕府直轄の六角獄舎という牢獄があり幕末、勤王の志士が多数収容されていた。その中に坂本龍馬の妻おりょうの父が勤王家の医師であったため捕らわれていた。

龍馬とおりょうは共に何度か訪れるが、龍馬自身も狙われる身であり面会はかなわない。その為この大木の上から様子を探ったという。

その後命を狙われる龍馬は身を隠すこととなる。おりょうは龍馬の身を案じ過ごしていた。そんなおり二人で何度も訪れた武信稲荷の榎をふと思い出し訪れた。するとそこには龍馬独特の字で『龍』の字が彫ってあったという。

自分は今も生きている。そして京都にいるのだ。そういう龍馬からの伝言であった。

龍馬が京都にいることを知ったおりょうは二人の共通の知人を訪ね、その後に二人は再び出会えたという。


御神木の榎(えのき)は八五〇年の生命力から健康長寿の信仰が厚い。また榎は「縁の木(えんのき)」とも読まれ、御神木の榎に宿る弁財天を祀る末社の「宮姫社」は縁結び、恋愛の神としても知られる。

龍馬とおりょうもそんな縁結びの力を頂いた二人である。

御神木の榎

今では、龍馬が彫った龍の文字は残念ながら見えなくなっています。

宮姫社

龍馬おみくじがあります。

本堂

両側にきつねさん

本堂横に御神木

御神木から現れた龍

御神木の榎(えのき)は樹齢約八五〇年、辯財天が宿る御神木である。平成25年8月、一部が空洞化した枝が折れ落下したが、チェンソーアート世界チャンピオン城所ケイジ氏によって龍の姿に生まれ変わった。

白蛇社(弁財天)

住所

京都市中京区今新在家西町38
  • 住所:〒604-8801 京都市中京区今新在家西町38
  • お問合せ電話番号:075-841-3023
  • 時間:9:00~18:00

アクセス方法

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