明智光秀首塚 明智光秀の首が埋められた場所

明智光秀の首が埋められた場所と伝えられている場所

明智光秀の首塚

天正一〇年(1582年)六月二日、明智光秀は本能寺(下京区)に宿泊していた主君・織田信長を急襲し、自害させました。しかし光秀は、備中松山城(岡山市)から引きあげてきた羽柴秀吉(豊臣秀吉)と、十三日に山崎(天王山)で戦って敗れ、わずかな家臣とともに近江の坂本城をめざして逃れます。そしてその途中、小栗栖(伏見区)の竹藪で地元の農民に襲われて重傷を負い、自害して家臣に首をうたせたといわれています。

光秀の首は、家臣によって隠されたといわれます。ですが吉田兼見という公家が記した日記「兼見卿記」によると、光秀の首は十五日までに発見されています。十八日からは、粟田口(左京区)で重臣の首とともに晒されました。晒されたのは数日で、二十二・二十三日には近くに埋め、塚を築いたことも記されています。

実際、「雍州府志」や「都名所図会」など、江戸時代の京都について記した地誌類には、その塚が蹴上付近にあり、三条通北側の人家の裏側にあると記されていることから、当時よく知られた名所であったことがうかがえます。

その後、江戸時代中期の安永~天明初年ごろ(一七七〇~八〇ごろ)に、蹴上の塚にあった石塔婆がこの地に移されできました。以来、この地が、明智光秀を弔う地として知られるようになり、光秀の首もここに埋められています。

また、明智光秀を弔う場所は、ここ以外にも、小栗栖の明智藪・胴塚があります。

京都市

この文書は、「明智光秀の首塚」建てられている立て札より。(下記写真の通り)

吉田兼見(よしだ かねみ)

戦国時代から江戸時代初期にかけての公卿・神道家。京都吉田神社神主。吉田神道宗家・吉田家9代当主

足利義昭、織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、細川幽斎などと交友関係は広く、明智光秀とは親友といっていいほどの間柄であったと伝えられている。

場所

京都府京都市東山区梅宮町474-23

〒605-0061 京都府京都市東山区梅宮町474−23

アクセス方法

【電車】

  • 地下鉄「東山」駅から約0.2Km
  • 京阪電車「三条」駅から約0.8Km
  • 阪急電車「河原町」駅から約1.3Km

【バス】

  • 市バス「青蓮院前」「神宮道」「東山三条」バス停
  • 京阪バス「神宮道」「東山三条」バス停
  • 京都バス「東山三条」バス停

岡崎白川沿いに標識があります。

この標識を便りに歩かれるとたどり着けます。

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