幻の城「坂本城」織田信長の命により明智光秀が築城した城 別名水城
坂本城は、元亀2年(1571年)織田信長による山門(延暦寺)焼き討ちの後、明智光秀により東南寺川河口に築かれた水城。現在は城跡などほとんど残っていない。(坂本城に関する資料はほとんど現存しない)
目次
坂本城

坂本城址公園掲示板に貼られていたポスター(イメージ写真です。)
元亀二年(1571)九月の山門(比叡山延暦寺)焼き討ち直後、織田信長は明智光秀に滋賀郡支配を命じる浜坂本(三津浜)に水城を築かせました。
築城の目的としては、山門の監視、彦根の佐和山城とともに、信長の領国美濃と京都とのルート確保、水運の重要な拠点などの目的で築城されました。
天正十年六月の山崎の合戦の後、焼失しますが、丹羽長秀によって再建され、同十四年、城主浅野長吉の時に大津城に移るまでこの地にあったとされます。
坂本城の歴史
- 1571(亀元 2年):明智光秀、宇佐山城に入る。比叡山延暦寺焼討ち後、織田信長の命によりこの地に築城と滋賀郡を任される。
- 1572(亀元 3年):明智光秀、坂本城を築城。
- 1580(天正 8年):坂本城普請(改修)。
- 1582(天正10年):本能寺の変。その後、山崎の合戦で明智光秀は敗死。坂本城落城。
- 1583(天正11年):本能寺の丹羽長秀が坂本城を再建。浅野長吉が城主となる。
- 1586(天正14年):城を大津に移す。
坂本城みどころ
坂本城址公園
駐車可能で公園なので何時でも入れます。
公園内には、石像・石碑が浜辺まで行けば琵琶湖が一望できます。(砂浜になっています。)
石像・石碑







残念ながら、坂本城址公園は実は城外と推定されていています。150mほど離れたキーエンス保養所が本丸になります。
坂本城本丸(キーエンス保養所)
20年3月8日から2021年2月7日まで開放 ただし土日 9:00~17:00のみ開放



坂本城本丸跡
坂本城は、元亀2年(1571年)織田信長による山門(延暦寺)焼き討ちの後、明智光秀により東南寺川河口に築かれた水城としてよく知られている。
天正14年(1586年)大津城築城までの間栄えた城であり、当地の発掘調査ではじめて、坂本城本丸の石垣や石組井戸、礎石建物等が発見された。
大津市教育委員会
湖中に残る石垣見学ルート

(渇水時)湖中に残る石垣が見える浜。琵琶湖の水位がマイナス50cmほどになると、石列が見らるます。但し、現在は琵琶湖の水位を調整されているためほとんど見ることができません。
行き方は
坂本城址公園から県道558号線を福井向きに150mほど歩くと「坂本城址の看板」があるので、看板に沿って琵琶湖まで歩いて行くと上記写真の看板までたどり着けます。


運がよければ見れるか!



8月27日は石垣は見えませんでした。

明智秀満の湖水渡り


坂本城跡縄張り推定図



織田信長と家臣による琵琶湖周辺の主要城郭

場所(坂本城址公園)
〒520-0105 滋賀県大津市下阪本3丁目1
24時間何時でも利用可能
アクセス方法
車を利用
名神高速道路、京都東ICから国道161号線を福井向きに、約20分。
無料駐車場あり 10台ほど停められます。
電車を利用
JR西日本湖西線『比叡山坂本駅』から徒歩19分(1.6km)
京阪電気鉄道石山坂本線『松ノ馬場駅』から徒歩16分(1.3km)