【京都御所】 明治維新まで天皇が住まわれておられた場所
目次
京都御所の歴史
京都御所は、明治維新まで天皇のお住まいであり、桓武天皇が794年に平安京に都を移されたのが始まりです。現在の京都御所の場所は、1331年光厳天皇がここで即位されて以降、1869年に明治天皇が東京に移られるまでの約500年間、天皇のお住まいとして使用されました。
京都御所の歴史は、桓武天皇が平安京に都を移した際に造営された大内裏の一部に由来します。大内裏は、平安京の中心部に位置する巨大な宮殿で、天皇の住まいである内裏のほか、公家や官僚の官邸、寺社、市場などが立ち並んでいました。
その後、内裏は度重なる火災や戦乱によって焼失や破壊を繰り返し、そのたびに再建されてきました。現在の京都御所は、1331年に光厳天皇がここで即位されて以来、御所として定められ、明治維新まで天皇の住まいとして使用されました。
明治維新後、天皇は東京に移り住み、京都御所は御所の機能を失いました。その後は、皇室の行事や国民の行事の会場として使用され、現在では一般にも公開されています。
京都御所の建物は、平安時代の建築様式を踏襲した造りになっています。正殿である紫宸殿は、天皇が即位式や朝賀などの儀式を行う場所であり、国の重要文化財に指定されています。また、京都御所の庭園は、池や滝、茶室などがあり、四季折々の美しい景観を楽しむことができます。
京都御所は、日本の歴史と文化を今に伝える貴重な遺産であり、多くの人々から親しまれています。
見どころ
紫宸殿
紫宸殿は、京都御所の正殿です。平安時代の9世紀に建てられ、天皇の即位礼、節会、元服、立太子礼などの重要儀式がここで行われてきました。
紫宸殿は、正面10間、側面12間の巨大な建物です。屋根は檜皮葺きで、屋根の上に金色の鳳凰が飾られています。内装は、板敷きで、天井は化粧屋根裏です。中央には御座があり、背後には賢聖障子と呼ばれる中国の聖賢や名将の肖像画が描かれています。
紫宸殿は、日本の伝統的な建築様式である寝殿造りの代表的な建物です。また、天皇の権威と威厳を象徴する場所としても知られています。
紫宸殿の名称は、天井の紫色の漆塗りから来ています。紫色は、皇室の象徴色とされ、天皇の権威を示す色とされています。
紫宸殿は、国の重要文化財に指定されています。
平安中期以降、大内裏の正殿であった大極殿が衰亡したことにより、即位の礼や大嘗祭( 天皇が即位後最初に皇祖および天神地祇に新穀を供え,これを食べる儀式)も紫宸殿で行われるようになった。
現在も京都御所の中でも最大級の建築物であり簀子、勾欄を除くと東西24メートル、南北23メートルの広さを持ち、高床式寝殿造によって、母屋の四方に廂の間を設けている。
昭和天皇までは、こちらで元服されました。
清涼殿
清涼殿は紫宸殿の北西に位置、平安京の内裏における殿舎のひとつです。平安時代初期は仁寿殿や常寧殿が天皇の日常生活の居所として使用されていましたが、中期には清涼殿がもっぱら天皇の御殿とされ、紫宸殿が儀式を行う殿舎であるのに対し、日常の政務の他四方拝・叙位・除目などの行事も行われました。
清涼殿は、東面して建てられ、天皇の日中の御座所である昼御座や寝所の夜御殿、朝餉の間などがあります。屋根は檜皮葺きで、柱は朱塗り、床は畳です。
清涼殿は、現在の京都御所にも残っています。現在の清涼殿は、安政2年(1855年)に造営されたもので、平安時代の建築様式を再現しています。
清涼殿の別名は、清冷殿、西涼殿、路寝(ろしん)、中殿(ちゆうでん)、本殿などです。
清涼殿と紫宸殿の違いは、主に以下のとおりです。
春興殿
春興殿は、京都御所内にある建物です。大正天皇の即位礼に際して造営され、現在は神鏡を奉安する内侍所として使用されています。
春興殿は、紫宸殿の東側、日華門の南に位置します。総檜造りの入母屋造で、銅板葺きです。建物は桁行15間、梁間11間、正面には唐破風を有しています。
春興殿は、大正天皇の即位礼に際し、神鏡を奉安する内侍所として造営されました。大正天皇の即位礼は、1912年(明治45年)11月10日に行われました。春興殿は、その1年前の1911年(明治44年)に造営されました。
春興殿は、現在も神鏡を奉安する内侍所として使用されています。神鏡は、皇室の神宝であり、天皇の即位に際して、春興殿に奉安されます。
春興殿は、京都御所の重要な建物の一つです。皇室の神宝を奉安する内侍所として、重要な役割を果たしています
初大夫の間
京都御所の正門である建礼門を入ると、正面に御車寄が見え、その奥に諸大夫の間があります。諸大夫の間とは、正式に参内した公家や武士が控えるための部屋です。
諸大夫の間は、身分に応じて3つの部屋に分かれています。最も清涼殿に近い部屋から、虎の間(公卿の間)、鶴の間(殿上の間)、桜の間(諸大夫の間)と呼ばれています。各部屋には、幕末の高名な絵師による障壁画が描かれており、その絵の題材がその部屋の名前となっています。
虎の間の障壁画は、狩野探幽の弟子である岸岱(がんたい)筆の「虎図」です。虎は権力の象徴とされ、公卿が座る部屋にはふさわしい絵柄と言えるでしょう。
鶴の間の障壁画は、狩野永岳筆の「鶴図」です。鶴は長寿と繁栄の象徴とされ、殿上人が座る部屋にはふさわしい絵柄と言えるでしょう。
桜の間の障壁画は、原在照筆の「桜図」です。桜は華やかさの象徴とされ、諸大夫が座る部屋にはふさわしい絵柄と言えるでしょう
御車寄
御車寄は、京都御所の南にある建物です。17世紀に建てられたもので、皇室の行事の際に、皇族や高官が馬車で参内する際に使用されました。
御車寄は、二重の屋根を持つ三階建ての建物です。一階は、馬車が乗り入れるための空間です。二階は、皇族や高官が休憩するための空間です。三階は、天皇が参内する際に使用する空間です。
御車寄は、京都御所の歴史的建造物の一つであり、国の重要文化財に指定されています。
以下に、御車寄の特徴をまとめます。
- 17世紀に建てられた、二重の屋根を持つ三階建ての建物
- 皇室の行事の際に、皇族や高官が馬車で参内する際に使用された
- 一階は馬車が乗り入れるための空間、二階は休憩するための空間、三階は天皇が参内する際に使用する空間
- 京都御所の歴史的建造物の一つであり、国の重要文化財に指定されている
新御車寄
新御車寄は、京都御所の正門です。大正4年(1915年)に大正天皇の即位礼に際して建てられたもので、天皇皇后両陛下の玄関として使用されています。
新御車寄は、京都御所の東側に位置し、正面には二条城の二の丸御殿が、背後には京都御所の御常御殿が広がっています。建物は、入母屋造り、銅板葺きの切妻造り、檜皮葺きの茅葺き屋根の3層構造で、総欅造りの豪華な造りになっています。
新御車寄は、天皇皇后両陛下が京都御所に入られる際に使用されるほか、国賓などの来賓が京都御所を訪れる際にも使用されます。また、天皇皇后両陛下が京都御所を訪れる際には、新御車寄の前に赤絨毯が敷かれ、天皇皇后両陛下が乗った車が新御車寄に到着すると、車から降りて新御車寄の中に入ります。
新御車寄は、京都御所の代表的な建物のひとつであり、天皇皇后両陛下が京都御所に入られる際の儀式の場として重要な役割を果たしています。
建礼門
京都御所の南向けにある正門である。格式の高い門です。昔は、この門を利用できるのは天皇陛下(最高位者)のみです。 天皇陛下の同伴があれば皇后陛下も、利用できます。
※皇后陛下単独の場合は建春門を利用します。
現在も天皇皇后及び外国元首級のみが通ることのできる、最も格式の高い門とされおり、京都三大祭りでも開門されることはない門です。
我々庶民には縁のない門ですね。
現在の建礼門は、17世紀初頭に再建されたものです。切妻造りの檜皮葺の四脚門で、門の上には、老亀や巨霊人などの装飾を施した蟇股が備わっています。
建礼門は、京都御所のシンボルとして、多くの人々に親しまれています。
以下に、建礼門の基本情報をまとめます。
- 場所:京都市上京区丸太町御池下ル
- 構造:切妻造り、檜皮葺、四脚門
- 装飾:蟇股に老亀や巨霊人など
- 利用:天皇皇后と外国元首級のみ通行可能
建礼門は、京都御所の一般公開時に見学することができます。
御池庭 回遊式庭園
御池庭は、京都御所の東側に位置する池泉回遊式庭園です。池には3つの中島があり、木橋2基、石橋3基が架かっています。また、飛石や石組も随所に配置され、回遊しながら様々な景色を楽しむことができます。
御池庭の歴史は古く、平安時代後期にはすでに存在していたとされています。江戸時代には、後水尾天皇の命により、作庭家・小堀遠州が改修を行いました。現在見られる御池庭の姿は、この時に整えられたものです。
御池庭は、蹴鞠の庭としても知られています。蹴鞠は、平安時代に中国から伝来した宮廷の遊びです。御池庭は、蹴鞠を行うのに適した広々とした庭園です。
御池庭は、京都御所を訪れた際にはぜひ訪れたい庭園です。四季折々の景色を楽しみながら、日本の伝統文化に触れることができます。
以下に、御池庭の特徴をまとめます。
- 池泉回遊式庭園
- 3つの中島、2つの木橋、3つの石橋、飛石、石組
- 蹴鞠の庭
- 平安時代後期から存在
- 江戸時代に小堀遠州が改修
御池庭の見どころは、以下のとおりです。
- 池と中島の美しい景観
- 飛石や石組の配置による変化に富んだ景色
- 蹴鞠の歴史を感じさせる庭園
御池庭を訪れる際は、ぜひこれらの見どころをチェックしてみてください。
建春門
建春門は、平安京内裏の外郭門の1つであり、京都御所の門の1つです。平安宮内裏外郭の東正面にあり、内郭の宣陽門と相対します。東西3間。門のすぐ外に外記庁の建物があったことから「外記門」の異名を持つ。 「宮東僻仗門」「左衛門陣」ともいった。
建春門は、平安時代初期に建てられたと推定されています。鎌倉時代には、火災で焼失しましたが、すぐに再建されました。江戸時代には、勅使(ちょくし=天皇の使者)の出入りに使われていました。明治以降は、皇太子や皇后の出入りに使われるようになりました。また、外国の元首が出入りする際にも使われています。
建春門は、京都御所の東正面にある門であり、平安時代から続く歴史ある門です。現在の建物は、江戸時代に再建されたもので、国宝に指定されています。
建春門の名称は、春の訪れを象徴する門という意味です。平安京内裏の外郭門は、12門あり、それぞれに季節の名前がついています。建春門は、春の訪れを象徴する門として、平安京の繁栄を願って建てられたと考えられています。
建春門の特徴は、その華やかな装飾です。門の上部には、唐破風の屋根があり、その上に金色の瓦が葺かれています。また、門の両側には、金色の鯱が飾られています。建春門は、平安時代の宮廷文化を象徴する門として、多くの人々に親しまれています。
清所門
清所門は、京都御所の北東側にある門です。1603年に徳川家康によって建てられ、御所の勝手口として使われていました。そのため、別名「御台所御門」とも呼ばれています。
清所門は、白漆塗りの木造門で、二重門になっています。門の上には、唐破風(からはふ)と呼ばれる屋根がかぶせられています。また、門の左右には、狛犬(こまいぬ)が置かれています。
清所門は、京都御所の一般公開時に、一般の見学者も通ることができます。清所門から御所に入り、御所の見学をすることができます。
清所門の所在地は、京都市上京区今出川通堀川東入三条通御所前です。最寄り駅は、京都市営地下鉄烏丸線「今出川駅」です。
中山邸
京都御所の北東方向の京都御苑の一画に残されており、明治天皇が生まれて4歳までご養育されました場所です。そこから激動の明治を生きられました。
管理がされていない為、残念です。
中山邸跡は、普段は非公開だが、毎年11月3日の明治天皇の誕生日には、一般公開されている。
以下に、中山邸跡の概要をまとめる。
- 所在地:京都府京都市上京区
- 交通:京阪電車「烏丸御池駅」から徒歩約15分
- 入場料:無料
- 開館時間:11月3日のみ、午前9時~午後4時
中山邸跡は、明治天皇ゆかりの史跡として、多くの人々に親しまれている。
場所・アクセス方法
・住所:京都市上京区京都御苑3
・京都市営地下鉄烏丸線:今出川駅より徒歩5分
・京都市バス:烏丸今出川停留所より徒歩5分
京都市内観光に便利でお得な地下鉄・バス一日(二日券)があります。
京都御苑の入り口
丸太町通沿いにある堺町御門から入れます。
京都五山送り火、左大文字(大)の文字が見えます。